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若葉(わかば)は、大日本帝国海軍の駆逐艦〔#達昭和7年8月pp.7-9『達第百六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦二隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和七年八月一日 海軍大臣 岡田啓介|驅逐艦 佐世保海軍工廠ニ於テ建造(昭和六年五月起工ノモノ) 初春ハツハル|浦賀船渠株式會社 子日ネノヒ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 若葉ワカバ|潜水艦 呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第六十八潜水艦|神戸三菱造船所ニ於テ建造 伊號第六十九潜水艦|水雷艇 舞鶴要港工作部ニ於テ建造 千鳥チドリ|藤永田造船所ニ於テ建造 眞鶴マナヅル|掃海艇 藤永田造船所ニ於テ建造 第十三號掃海艇|大阪鐡工所ニ於テ建造 第十四號掃海艇|敷設艇 石川島造船所ニ於テ建造 夏島ナツシマ』〕〔#日本軍艦集2600年版p.42『一等驅逐艦 若葉(わかば) 基準排水量1,368噸、長さ102.96米、幅9.94米、平均吃水2.67米、速力34節、備砲12.7糎砲5門、魚雷發射管6門、起工昭和6年12月12日、進水昭和9年3月18日、竣工昭和9年10月31日、建造所浦賀船渠會社―同型に、初春、子日、初霜、有明及び夕暮がある。』〕。 一等駆逐艦初春型の3番艦である〔#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|初春型|初春、子日、若葉、初霜、有明、夕暮』〕。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「若葉」に続いて2隻目〔#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.93『神風型〔三等驅逐艦〕』〕〔#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.161『初春型〔六隻〕 艦種一等驅逐艦 艦名考気象等に採る。 若葉(わかば)【二代】』〕。艦名は海上自衛隊の護衛艦「わかば」(旧橘型駆逐艦「梨」)に継承された。 == 艦歴 == === 太平洋戦争まで === 駆逐艦「若葉」(第61駆逐艦)は佐世保工廠で1931年(昭和6年)12月12日に起工した〔#艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『若葉|一等駆逐艦|(艦要目略)|浦賀船渠會社|6-12-12|9-3-18|9-10-31|(艦装備略)』〕〔#第3983号若葉p.3『(宛略)電報 第六十一駆逐艦十二月十二日午前十一時工廠ニ於テ起工ス 十二日』〕。初春型2番艦「子日」(12月15日起工)より3日はやい起工だった〔#艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『子日|一等駆逐艦|(艦要目略)|浦賀船渠會社|6-12-15|7-12-22|〃(8-9-30)|(艦装備略)』〕。 1932年(昭和7年)8月1日、初春型駆逐艦1番艦に「初春」、同型2番艦に「子日」、同型3番艦(本艦)に「若葉」の艦名が与えられる〔〔#海軍制度沿革(巻8、1940)p.209『◎驅逐艦初春外二隻伊號第六十八潜水艦外一隻水雷艇千鳥外一隻掃海艇第十三號外一隻敷設艇夏島命名ノ件』〕。また同日附で二等巡洋艦最上型に「最上」と「三隈」〔#達昭和7年8月p.7『達第百五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ二等巡洋艦二隻ニ左ノ通命名セラル|昭和七年八月一日 海軍大臣 岡田啓介|呉海軍工廠ニ於テ建造 八千五百噸級巡洋艦 最上モガミ|三菱長崎造船所ニ於テ建造 八千五百噸級巡洋艦 三隈ミクマ』〕〔#海軍制度沿革(巻8、1940)p.203『◎二等巡洋艦最上及三隈命名ノ件』〕、千鳥型水雷艇2隻に「千鳥」と「真鶴」、夏島型敷設艇「夏島」等の艦名が通達された〔〔。 建造途中で同型艦「初春」の復元性能不良が判明し、改善工事を施すことになる。このため進水は浦賀船渠で建造中の初春型4番艦「初霜」(昭和8年1月31日起工)より約4ヶ月遅れた〔#艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『初霜|一等駆逐艦|(艦要目略)|浦賀船渠會社|8-1-31|8-11-4|9-9-27|(艦装備略)』〕。 1934年(昭和9年)3月18日に進水〔〔『○驅逐艦進水 佐世保海軍工廠ニ於テ建造ノ驅逐艦若葉一昨日十八日午前九時四十五分進水セリ』〕。 5月25日、日本海軍は峯風型駆逐艦2番艦「澤風」艦長則満宰次少佐を若葉艤装員長に任命する〔昭和9年5月26日 官報第2218号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958693 p.7〕。 6月5日、佐世保海軍工廠に艤装員事務所を設置〔『○事務所設置 驅逐艦若葉艤装員事務所ヲ本月五日佐世保海軍工廠内ニ設置セリ』〕。 10月10日、則満艤装員長は制式に若葉駆逐艦長(初代)となる〔昭和9年10月11日 官報第2335号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958811 p.3〕。 10月31日に竣工〔。同日附で若葉艤装員事務所も撤去〔『○事務所撤去 驅逐艦若葉艤装員事務所ヲ佐世保海軍工廠内ニ設置中ノ處去月三十一日撤去セリ』〕。「初霜」(9月27日竣工)より約1ヶ月遅れての竣工だった〔。「若葉」は第21駆逐隊(司令坂野民部大佐)に編入され、同隊は定数4隻(初春、子日、初霜、若葉)を揃える。 1935年(昭和10年)11月15日、第21駆逐隊司令は板野大佐から大森仙太郎大佐(太平洋戦争開戦時の第一水雷戦隊司令官)に交代〔昭和10年11月16日 官報第2663号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959142 p.9〕。 11月21日、則道中佐(若葉艦長)は吹雪型駆逐艦「雷」駆逐艦長〔昭和10年11月22日 官報第2668号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959147 p.3〕へ転任〔後日、則道は駆逐艦「狭霧」艦長、軽巡「北上」艦長、第61駆逐隊司令(秋月型照月座乗)、重巡「筑摩」艦長等を歴任。レイテ沖海戦における「筑摩」沈没時に戦死。〕。神風型6番艦「追風」艦長中村謙治少佐が若葉駆逐艦長となる〔。 1936年(昭和11年)12月1日、第21駆逐隊司令は大森大佐から木村昌福大佐(キスカ島撤退作戦時の第一水雷戦隊司令官)に交代〔昭和11年12月2日 官報第2976号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959458 p.21〕。 1937年(昭和12年)12月1日、若葉駆逐艦長は中村少佐から白露型駆逐艦4番艦「夕立」艦長澤村成二少佐に交代する〔中村謙治は中佐進級後、12月20日より朝潮型駆逐艦「朝雲」艦長、吹雪型「電」艦長、陽炎型駆逐艦「不知火」初代艦長、青葉型重巡洋艦「青葉」副長等を歴任。サボ島沖海戦における「青葉」大破時に戦死。大佐進級。〕。また第21駆逐隊司令木村昌福大佐は第8駆逐隊司令へ転任、第13駆逐隊司令植田弘之介中佐が第21駆逐隊司令と第28駆逐隊司令を兼務することになった。 1938年(昭和13年)1月12日、澤村(若葉艦長)は初春型姉妹艦「夕暮」艦長へ転任。姉妹艦「初霜」艦長塚本守太郎少佐は、初霜および若葉艦長の兼務を命じられた〔。 8月5日、植田(第21駆逐隊司令)は第三掃海隊司令へ転任、第28駆逐隊司令西岡茂泰中佐が第21駆逐逐隊司令を兼務する。 西岡は第22駆逐隊司令へ転任、それまでの第22駆逐隊司令井原美岐雄大佐が第21駆逐隊司令と第28駆逐隊司令を兼務する。 12月1日、塚本(初霜・若葉艦長)は兼務を解かれ〔後日、塚本は睦月型「長月」艦長、朝潮型「夏雲」艦長等を歴任。サボ島沖海戦における「夏雲」沈没時に戦死。〕、睦月型駆逐艦10番艦「三日月」艦長大島一太郎少佐が若葉駆逐艦長となる。 12月5日、水上機母艦「能登呂」艦長早川幹夫大佐〔後日、早川は第二水雷戦隊司令官。多号作戦において「島風」沈没時に戦死。〕が第28駆逐隊司令に任命され、井原司令は兼務を解かれた。 12月15日、井原(第21駆逐隊司令)は大湊防備隊司令・大湊要港部港湾部長を命じられ、第16駆逐隊司令島崎利雄中佐が第21駆逐隊司令となる。 1939年(昭和14年)10月15日、大島(若葉艦長)は朝潮型駆逐艦4番艦「満潮」艦長へ転任。後任の若葉駆逐艦長は睦月型3番艦「弥生」艦長安並正俊少佐となる〔。 11月15日、第21駆逐隊司令は島崎大佐から阿部俊雄中佐に交代する。 1940年(昭和15年)10月15日、安並(若葉艦長)は舞鶴防備隊水雷長へ転任〔後日、安並は吹雪型「薄雲」艦長、陽炎型2番艦「不知火」艦長等を歴任。〕。初春型姉妹艦「有明」艦長吉井五郎少佐が若葉駆逐艦長に任命される〔。第一水雷戦隊司令官も河瀬四郎少将から戦艦「伊勢」艦長大森仙太郎少将に交代した。 1941年(昭和16年)9月1日、第21駆逐隊司令阿部俊雄大佐は第8駆逐隊(大潮、朝潮、満潮、荒潮)司令へ転任〔阿部は第8駆逐隊司令、第10駆逐隊司令、軽巡「大淀」艦長、空母「信濃」艦長等を歴任。「信濃」沈没時に戦死。〕、第29駆逐隊司令清水利夫大佐が第21駆逐隊司令となる。 9月10日、若葉駆逐艦長は吉井少佐から黒木政吉少佐(重巡洋艦「摩耶」水雷長)に交代。「若葉」は黒木艦長の指揮下で太平洋戦争に突入した。吉井は朝潮型1番艦「朝潮」駆逐艦長に任命され〔、同艦がビスマルク海海戦で沈没した際に戦死した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「若葉 (初春型駆逐艦)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Japanese destroyer Wakaba (1934) 」があります。 スポンサード リンク
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